詩のための詩の死に関して

最先端の物理学みたいに
日常の現象を解き明かしたので
特殊な状況を自分で作り出すみたいに
日常生活から受ける賛美は
結局のところ
言葉を破棄した先の
見えないところにあって
それは静かに
味わわれるべきものだとするなら
もはやそのための詩は必要なくなって
個人個人が静かに
誰からも共通理解される
日常生活から受ける賛美を
感じていればいいということになる
そういう条件で
詩の存在意義を探すなら
日常生活の賛美から
ポジティブなものであれ、
ネガティブなものであれ
日常に隠蔽されているものについての
発掘作業の代行
ということになるのであろうか
でもそうすると、
なんだかあたまでっかちのようで
つまらない気がするので
個人的なことを書いて
自明なことを再確認するための詩
というものも許されるなら
そんなものもだらだら書きたい
そうして詩のための詩の死から逃れて
恥ずかしさを感じながらも
そのそぶりを他人にみせないようにして
生きていきたい

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