アルパカ

アルパカ
アルパカが
ふげーふげー
と鳴くとき
小さな家の窓辺で
一つの命が消えた
星々はそれを知っている
何もすることが出来ないけれど
夜のカーテンにくるまれて
惟、それを見守っている
アルパカが
ふげーふげー
と鳴くときに、
ある村では
小さな銃声が響きわたった。
そして、同時刻に、
おぎゃーおぎゃー
となきながら、
一つの星が地上に
還ってきたのでした

口ぐせの始まりに

口ぐせの始まりに
ふとした時に口にする
きみの口癖が好きで
家に帰って
その日あったことを反芻するたび
その口癖を思い出す
君とクロスする生活が
増えていくにつれて
そんなことを繰り返すことも
多くなると
いつしか
その口癖が
自分のものになっていた
そんな
口ぐせの始まりには
驚くと同時に
すこし気恥ずかしく、
嬉しい気がした。

雨乞いについて

雨乞いについて
ある少数民族の雨乞いは
必ず成功するという
・・・、
これは真実である
それはかれらが
雨が降るまで
祈り続けるからだ
この論理的な単純さを
笑うことは
都市に生きるものの
反射的な所作の一つではあるが
雨乞いについて
一笑にふすのは
品位についての危機である
彼らの雨乞いは
壮絶である
雨を待つ間に
いくつもの太陽を眺め
ともに雨を待つ仲間が
どんどんと死んでいく
生き残った者は
雨が降るまで
休息はせず、
ただ踊り、
歌い、
祈り続ける。
そうした果てに
ようやく彼らは雨を手にする
さて、都市に生きるものに
雨乞いは可能だろうか
年間の自殺者数が
三万人を超えていく
この国では
衰弱した生命が
雨を乞うこともなく、
無抵抗に死んでいく。
注意すべきなのは、
自殺を図ることが
衰弱の度合いではないということだ。
果たして今、
何かを乞う事が出来るか
情報が蔓延する世の中に
精神を虚脱させず、
喜ぶべきことに喜び、
悲しむべきことに悲しむことができるか
そして、
もしもそこに悲劇があるのなら
社会に対して
その改善を
乞うことができるか
はたまた
大切な人への願いがあるのなら
きちんと、正しい形で、
その思いを伝えるができるか
我々はふてくされてはいけない
きちんとした
雨乞いをすれば、
いつしか
必ず雨は降るのだ。

疑われた心は

疑われた心は
疑われた心は悲しかった
なぜ自分が疑われなくては
いけなかったのか
なぜ信頼していた人たちから
このような仕打ちを
受けなければならなかったのか
それを解決しようと話し合いを
持ちかけもした。
けれども、そこで受けた言葉は
謝罪ではなく、更なる非難だった
疑われた心はもはやこれまでと思い、
彼らとの距離をとることにした

疑った心は

疑った心は
疑った心は悲しかった
なぜあの人にそんなことを
されたのか
なぜ信頼していた人から
このような仕打ちを受けなかったのか
それを解決したい気持ちもあったが、
向かい合って話すと
どうしても悲しみや怒りが
口から出てしまう。
元の通りに戻りたいと願うが、
言葉から出るのは、
非難の言葉ばかり
疑った心はどうしたらいいかと思い、
今も思案している。

悲しい心には


悲しい心には
誰かを傷つけたいと思う心や
誰かに傷つけられたと思う心や
自分のやったことを後悔する心や
人を信じたいと願い、
けれどもどうしても無理だよという心や
素直になりたいと思う心や
みんなに仲良くしてほしいと思う心や
もう何もかも嫌だという心には
歌をあげよう
祈りをあげよう
誰かを呪っている限り
幸せにはなれない
許せないという気持ちの限り
安らかに眠れない
そんなことは当然分かっていて、
だけど、そんなこと言ったって、
許せるわけないじゃないか
もう一度、信頼することなんて
無理じゃないかという人には
歌をあげよう
祈りをあげよう
家族や恋人を虐殺された人と
虐殺した人が
国と国の強引な和解によって
共に生きることを強制される
二一世紀だもの
歌をあげよう
祈りをあげよう
小さな子ども達の食べるご飯を顧みず、
ぷくぷく太って、
ダイエットしなきゃなんていってる
世の中だもの
歌をあげよう
祈りをあげよう
悲しいことも沢山あるけど
いやなことも沢山あるけど
歌をあげよう
祈りをあげよう
まぁ、
もしそれでも
誰かを許せないというのなら、
それも仕方ないさ。
君の心のために
私は祈り続けよう

のんびりしている人

のんびりしている人
普段何気なくそこにいる
のんびりしている人は
のんびりしたいから
のんびりしているのである
あるいは
のんびりしている人は
のんびりせざるをえない状況にあるから
のんびりしているのである
ひょっとすると
のんびりしている人は
のんびりすることしか能がなく
のんびりしているのかも知れない
けれども
それは価値のないことではない
のんびりしている人は
のんびりしていない人の代わりに
のんびりしているのである。

もしも世の中がパレードなら


もしも世の中がパレードなら
もしも世の中が
パレードの法則に支配されていて
結局のところ
ゼロサムゲームなのだとしたら
自分は
先頭に立ってラッパを吹こうか
それとも脇に立ってスネアを叩こうか
あるいは
観客を魅了するダンサーになろうか
はたまた象の上に座り
観客に手を振り、平和を象徴しようか
いずれにせよ、
もしも僕がそのお仕事をするのならば、
誰かは別の仕事をすることになり、
一見、自分なんてものは
無いように見える
けれども、よく考えると、
パレードを見守るパン屋さんに
なることもできるし、
パレードを企画する人にもなれるのだ。
はたまた、誰も考えもつかなかった
お仕事だって可能なのだ。
どんなお仕事をするか、
どうやって生きていくかは
無限大である。

スカンク

スカンク
スカンクは顔を赤らめた
あーあ
またやってしまった。
彼の一発には定評がある
なんとも臭いもののひとつとして
市井の人には数えられている
おれの一発って
そんなに臭いかなぁ
緊張してあがってしまったときに
彼はよく一発をしてしまう。
そのたびに彼は
自分の一発の残り香を嗅いで
自問自答する。
おれの一発って
そんなに臭いかなぁ
彼の質問に
誰も彼に代わって
答えられない

裂け目

それぞれの世界が
この世にある
次元は
この世に生まれた人の数
生れなかった人の数
多様な次元を有するこの世界
自分の世界や認識への固執は
些か狭い
他の認識に遊ぶ事、
自らの領域へ招くことを
覚えなければならない
その領域でさえ
変質するものではあるが
連綿と続く
自分の世界も
そこへ飛び込むと
新しい世界へつながり、
元の世界へ戻れなくなる
そんな裂け目がある
そのような裂け目を脳は嫌う
もし
いくつかのメタモルフォーゼを
欲するなら
チャレンジが必要だ
裂け目を見過ごさず、
そこへ飛び込め
そしてまた、
この世に存在する
あるいは存在した次元の住民たちへ
その人に実際に会うことがあれ
会うことがないのであれ
その次元の平和が
実現されるよう、
その次元で素敵なことが
多くあるよう
願うことが
大事だと思う